依存症の仲間と共に

薬物アルコール依存症。境界性人格障害。解離性障害。養子縁組。

差別報道を観て

アメリカの黒人殺人の報道を

観て考えました。


個人的な話になってしまいますが


1990年代

私はハワイに魅了されて

アホみたいにハワイに行っていた

時期がありました。


ファーストハワイは

1988年かと思います。


かなり⤴⤴な私

慣れて行くうちに

遊び方は変わっていくのですが


ファーストハワイは

私がまだクラブ勤めの頃で

G.Wにお店主催のコンペがありまして 

半分はお仕事です。


思い出すと恥ずかしいし

笑える。


ワイキキ空港着いたら

現地のお姉さんが

何でしたっけ?

花の輪を首にかけて

下さり

「Aloha ~!」


ホテルまでは

ロングリムジン送迎

何故か

金髪イケメン?がドアを

開けてくれるW


若手は私しかいなくて

ママやお姉さん達に

連れていかれるのは

ブランド店ばかり

嫌いじゃないですが

まだ小僧の私は

お姉さん達みたく魔法のカードを

持っていませんでしたから…W


流れで

行ってみたのは

インターナショナルマーケット


屋台でアクセサリーやアロハシャツ等を

アジア系の方が

売っています。

値札の半額以下で買うのが

当たり前みたいなやつです。


そこで

出会ったのが

インド系のDです。


リアルタイムの

日本ジョークがうまい

オモロイおっさん

(今思えば年齢不詳)


翌日ランチに

誘われたわけなんですけど


当日になり

お姉さんは行かないと…やっぱり…


私は約束したから

行かなきゃ悪いと思い行きました。


危険なタイプだと

思われるでしょうが…


ランチご馳走になり

貴女にプレゼントがあるから

自分の部屋に来いと言われました。


断れないんですが


私こういうの

恐く無いです。

闘える自信があります。

私が危険な奴です。


そして

マッサージしてやるから

ベットに横になるように…だって


この頃

家田荘子さんの

(イエローキャブ)

と言うノンフィクション小説が

ベストセラーでした。


浮かれた日本人女子が

アメリカ人にすぐ乗っちゃう。

アメリカの黄色いtaxiにひっかけた

タイトルです。


私は英語を話せません。


「I .m not yellow cab!💢」



「I.m sorry …」


その後

私は日本人女子が皆

尻軽女ではないこと。

私は英語が話せないけれど

異国文化に興味がある。

ようなことを伝えたと思います。


それらはD に理解して貰えたようで

Dとはその後Dが

インターナショナルマーケットから

居なくなるまで

私がハワイに行く度

ランチやクラブに連れていって

くれました。


地元男性にナンパされれば

アイツは危ない。と護る側に…


勿論 ずーっと肉体関係は

ありません。


D元気かなぁ…


上級者レベルになった頃の話


ホテル泊は止めて

コンドミニアム泊に

なりました。


その頃

私はHip hop Danceに

魅了されていました。


ある日

エレベーターホールで

如何にもダンサーの

ブラックの方々が…


声を掛けられました。


相変わらず英会話は出来ません私…


でもDance をやっていると

わかってもらえました。


すると

彼らはマライア・キャリーさんの

バックダンサーで

今夜パーティがあるから

来ないかと誘ってくれました。


メッチャ行きたいですよ。


でも

Dの時と違って大勢だし…


私の口からでたのは

「Be careful…」

私は一人だから…慎重に…と

伝えたかったのですが


「アナタハカワイソウ」と

言われてしまいました。

本当カワイソウ…

知識がないことが

カワイソウ…


彼らに嫌な思いをさせて

申し訳なかったです。


ハワイで

一度だけ差別用語を浴びました。

ショッピングしていただけと

思うのですが…??


パパは

海外の仕事が多いのですが

やはり差別はあるそうです。


パパのFacebookなんて

外国人ばかりなのに

どうして差別があるか

不思議です。


外国語出来ない私ですが

国策がおかしいから

嫌だなと思うことは

ありますが

個人に悪意はありません。


アメリカの警察とテロ

ブラックの方が歩みよろうとする

映像に涙しています。

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