依存症の仲間と共に

薬物アルコール依存症。境界性人格障害。解離性障害。養子縁組。

解離性障害 その2

私は

何とか帰宅したようです。


気づけば外が明るいので

一晩明けたのでしょう。


何がどうなったのかわかりません。

わからないのです。


確かパパに電話をしようとした

記憶がありますが

電話がかけられない。

ボタンが押せないのか

ロック解除が出来ないのか

パパに電話が出来ない。


私は24時間サイレントモードです。


たまたま気づけたのです。

スタッフから着信が!


何故かこの時は

電話を取る事が出来ました。


「りょうさん

今ね 近くに入るんだけど

寄ってもいいかな?」


どうしてスタッフが来るんだろう?

理解出来ませんでしたが

「はい。」と答えました。


この時バッテリーの残りが

25%だったことは何だか

脳裏に焼き付いています。


しばらくすると

「りょうさん。」と声をかけられました。

女性スタッフが2名。


ここからはスタッフ後日談です。


私と連絡が取れない。と

パパからスタッフに電話があったそうです。


マンションの部屋には

鍵はかかっておらず

恐る恐る部屋に入ってみると

私は旅行に行った時の洋服のまま

ベッドに座っていたようです。


布団に乱れがないことから

恐らく眠っていない。

食事もしていない。

薬も飲んでいない。


そこへ施設代表(男子部施設長)も

かけつけてくださり

とりあえず食事を食べさせるために

ファミレスに連れて行ってくれました。


「好きなものを食べてね。」と

言われたのですが

メニューが読めないというか

視線が定まらないというか

決められないので

施設代表が

(ハンバーグ定食)を頼まれたので

同じにしました。


ところが私はご飯とお味噌汁しか

食べようとしなかったようで

「ハンバーグ食べないの?」と

声をかけたら

「いらない。」と施設代表に食べて

もらいました。

失礼しました。


とにかくスタッフが泊まるわけには

いかないので

着替えをさせ

薬を飲ませてもらい


ガスの元栓を閉めてくださり

ライターを持っていかれました。


パパが何日後に帰国したか

覚えていません。


とにかくスタッフが来てくれなかったら

私はどうなっていたか

想像出来ません。


これがハヤシ先生から

言われた

私が初めて認識出来た

(解離性障害)でした。

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