依存症の仲間と共に

薬物アルコール依存症。境界性人格障害。解離性障害。養子縁組。

生き辛さから逃げる その1

自宅に帰りたくない。


でも

私には帰る所は自宅しかない‥


一カ月ぶりに帰宅した自宅は

あの日に炊いた

ラベンダーのアロマオイルの

香りがした。


テーブルの上に残したメモには

近親者に向けての感謝の気持ちと

遺書めいた事が書いてあった。


私はまだ生きている。

ビビリの私は死ぬ勇気もない。

生きていかなければいけない。


生き地獄。


取り敢えずは

ヤマニシ先生の病院に行こう。

私はヤマニシ先生から

留置所で(リタリン)が

覚醒剤と聞かされた。

その日のうちに

残っていたリタリンを全て捨てた。


留置所を出た初日に

嫌な思いをしました。


刑事さんとお別れの際

「後で電話するから。」

言われました。


どうして電話してくるのか

意味がわからなかったけれど

お世話になった恩があったので

何故か私は菓子折りを用意して

連絡を待つことにした。


刑事さんは本当に電話をかけて来て

自宅にやって来たので

私は正座をして改めてお礼を言った。


その後

居酒屋に連れて行かれました。

適当に飲んでお店を出た後

信じられない事を言われた。


「俺はこの後行ってもいいよ。」


その言葉が何を意味するか

私でもわかります。


「何言ってるんですか?」

笑って誤魔化して

早々に帰宅しました。


良くしてもらっただけに

ショックでした。


あぁ‥

仕事もしなくてはいけない。


留置所で午後に2時間ほど

ノートとペンの時間があって

各々好きな事を

書くことができました。


私は留置所を出た後

飲食店出店の為の企画書を

書いていた。


何しろ私には学歴がないので

出来る仕事は

水商売か体を売る事

飲食店しか思いつかない。


飲食店については

過去に素人経営ではありましたが

居酒屋経営の経験がありました。


それと

最後まで通いきれなかったけれど

フードコーディネーターの

スクールに通っていました。


無駄では無かったと思いますが

やはり実務の方が数段

大切で役に立つと思います。


留置所で飲んでいた

睡眠薬がないので

眠くなるまで

好きなだけお酒を飲みました。

好きなだけタバコも吸いました。


でも虚しい‥


留置所に帰りたい‥


明日

ニシヤマ先生の所に電話をしよう。

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