依存症の仲間と共に

薬物アルコール依存症。境界性人格障害。解離性障害。養子縁組。

最期の名医 その3

パパに新しく診察してもらいたいと

思った病院と

(薬物依存症)の事を話しました。


私は一応は見つからないよう

使っていたつもりでしたが

4年も一緒に暮らしてきて


尋常じゃない行動をとる私が

何か薬でもやっている事に

パパは気づいていると思っていました。


ところがパパは全く気づいていませんでした。


ヤク中を見た事もなければ

そういう環境に無縁だと

そんなものなのでしょうか?


ひとつだけ心当たりがあると

感じたのは

私が地元のマンションの

ベランダ越しに建つ

3階建ての一軒家から

(覗かれている。)

と言っていたことらしいです。


バレないために

細心の注意を払って

神経質になってバカみたい。


ヨレてるヤク中の考え方です。


長い長いひと月が過ぎ

初診の日がやって来ました。


朝8時半という早い予約時間で

朝が苦手なパパはキツそうでしたが

こうなったのは

パパにも責任がある、


それに1人じゃ行けないので

パパも一緒に病院に行きました。


先に採血やCTの検査を受け

待たされる覚悟でしたが

すぐに診察室に呼ばれました。


先に私だけが呼ばれました。


「おはようございます。

宜しくお願いします。」


「おはようございます。

ハヤシです。」


40代前半でしょうか?

白衣のせいもありますが

医師や研究者の雰囲気です。


今までの病院と同じようなに

生い立ちを聞かれ

今までの病院と違うのは

使用してきた薬物を

聞かれた事です。


改めて聞かれて自分も

驚きましたが

14歳のシンナーから始まり

この時私は46歳になっていました。


(妊娠、授乳中等

使用していない期間もありますが

およそ30年間様々な薬物を使用してきました)


しばらくすると検査結果の用紙を

看護師さんが持ってきました。


ハヤシ先生はそれらに目を

通して

「高見沢さん

貴女はこんなに長い期間

薬を使いお酒を飲んで

どこも悪いところがありません。

これは奇跡だと思いなさい。」


私は死に向かって薬を止めなかった。

注射器の回し打ちも

躊躇なくしてきたのに

何と言う事実でしょう‥


私には逆に

余命宣告された気分でした。


(生きろ。死なせない。)


30年間使用してきた薬物は私に何のダメージも

与えなかった。


神様は意地悪だ。

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