依存症の仲間と共に

薬物アルコール依存症。境界性人格障害。解離性障害。養子縁組。

境界性人格障害 その2

母は美人です。

そして母の世代の言葉を使うと

ハイカラで自立心の強い女性で

一生懸命働いて貯めたお金で

東京の有名な洋裁学校を出ました。


東京で仕事をしていた頃から

今では

地元で1番古くなってしまいましたが

お洒落なファッションビルのブティックで

働いていた頃の輝かしい話を聞かされた

記憶があります。


母は結婚しないつもりが

祖母から

体裁が悪いという事で母の妹の

同僚だった父と結婚をしました。


父が再婚で前妻に

逃げられたことも父が他界後

母から聞いて知りました。


私が可愛くない事に不満気だったのを

私は幼稚園年少の時に感じていました。


突然怒り出すのです。

何故怒られているのかわからない時が

ありました。


それでも母に甘えたくて

まとわりつこうものなら

洋裁用の竹の物差しで叩かれるのです。


住んでいた家は平屋の借家で

二間しかないので

父が1人で寝て

私は母と布団を並べて寝ていました。


母は大きな二重瞼です。

父も二重瞼です。


私だけが腫れぼったい

小さな一重瞼でした。


寝る時によく言われました。

「小さな目だね。糸切りバサミで

チョンッと切ったら大きくなるかな‥」


父の嫌な話をよく聞かされました。


博打で会社のお金を使い込んだ事

母が働いて返済してきた事


母は3回流産をしていて

私で4度目の妊娠です。

悪阻が酷い母に父は

「そんなに辛いなら堕してこい。」

夜泣きで煩い時にも

辛くあたったと恨めしく語っていました。


「お前は橋の下で拾って来た。」

冗談のつもりだったと思いますが‥


まだ小さい私は

自分は産まれて来てはいけない子だと

思い始めました。


小学一年の時に初めて家出をしました。


道路に飛び出したり

母の友人や親戚の家から

飛び降りようとしました。


私も変わった子供です。


早く大人になってこの家から出る。

そんな事を考えながら

生きてきました。

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