依存症の仲間と共に

薬物アルコール依存症。境界性人格障害。解離性障害。養子縁組。

週末は嫌い。

私の週末の過ごし方。


コロナ問題以前は

自助グループに居場所があることで

孤独から救われていました。


現在も開いている会場は

皆無に近く居場所がありません。


寂しさに耐えながら

パパとの悲惨な生活も

今となっては

楽しく懐かしく思います。

(初めて読んで下さっている皆様

パパは養父で血縁者ではありません。)

 

私は現在51歳ですが 

15歳で母を暴力で家から

追い出してから一人の生活が

始まりました。

(父は母と生活しながら

時々様子を見に来てお金を置いていく。)


元夫との同棲と婚姻生活が2年半

息子とは離れたり一緒だったりで

7年くらい

パパとの8年

家族がいるのに一緒に暮らした

時間が少ない…


自分で好き放題しておいて

言えた口じゃないですが

寂しかった…


恋人が出来ても

皆逃げていきます。

ボーダーという障害が

原因だとわかったのは

30代前半の時でした


いい恋愛の思い出もありません。


一人暮らしは

誰からも文句は言われませんが

焦燥感や自己瀲憫

といったマイナス感情に

耐えなければいけません。


生きるということから解放されたい。

お酒とドラックで

自分を痛め付けてきました。


42歳でパパと出会い

既に薬で思考回路が

おかしくなっていた私は

パパの事業の立て直しのために

良くわからないうちに

協力していて

結果財産を失いました。

今でも思い出して怒る時が

あります。

それでも嫌いになれないし

変わらず大切な家族です。


幼い頃

母から与えて貰えなかった

家族というものを

一緒に暮らした8年間で

パパは沢山与えてくれました。

それは実父の愛情表現だった

お金をくれることとは違い


私の良いところを誉めてくれ

知らないことを教えてくれ

母にはされたことのない

ハグという行為には

今まで経験したことのない感情を

抱きました。


パパは家族愛がわからない私に

真剣に向き合ってくれました。

私も同じように向き合わなければ

いけないのに

ドラックが止めらない。 


どんどんイカれていく私は

パパに暴力を振るうように…

ケガをさせることもありました。


財産を失ったことの怒りは

仕事関係者やパパのお母さん

息子さんに矛先がむくことも


然し私が

どれだけ酷いことをしても

パパは私に暴力を振るったり

一度も出ていけと

言ったことはありません。


解離を起こして意識が曖昧な

私の介護をしてくれたのも

パパです。


未だビジネスはうまく回りませんが

私は信じて待ちます。


その時はもう一度

少しの時間でいいから

家族として

一緒に暮らしたいです。


その日が来るまでに

私の病気 

寛解させるから

モンスターじゃない私と 

家族として楽しく

暮らしてください。



いつも怒ってばかりでごめんね。


こんな私から逃げずに

そばに居てくれたのは

パパだけです。


ありがとう❤

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